80’s、90’s の「りぼん」を求めて

80's、90's の「りぼん」を求めて

姉の影響で、当時「りぼん」コミックで連載されていて、アニメでも放送された『こどものおもちゃ』が好きで、20代以降になってから改めてマンガを全巻揃えたことがありました。

その流れで、昔の少女マンガ『ときめきトゥナイト』の文庫を読んでみると、そのかわいらしい恋模様、世界観に魅了されました。昭和生まれ、90年代育ちの私は、80年代〜90年代のマンガやアニメの世界観、画風にものすごく哀愁というか、懐かしさ、心地良さを感じるようです。

あの頃のりぼん

例えば、”あの頃のりぼん” と言われるように、この年代のりぼんを見ると、何かかわいらしい心地良さを感じます。私は正面から通って来なかったのですが、姉が当時のりぼんを買っていたな、という記憶はあります。

人間的な気持ちのキャッチボールが行われていた最後の世代

それこそ当時アニメで見ていたのは、『ママレードボーイ』、『姫ちゃんのリボン』、『こどものおもちゃ』、『赤ずきんチャチャ』などでしょうか。この当時のマンガについて思うことは、人間的な気持ち・感情のキャッチボールが行われていた最後の世代が反映されていたと思います。

当時は、携帯電話やインターネットが普及し始める前で、90年に入ってようやく携帯電話が普及してきたタイミングですので、今のようにスマホ的なものがなかった訳です。

だから当時はまだ、気持ちの伝え方がもっと温かさを帯びていて、好きな相手に「好き」という気持ちを伝えるのも、相手に面と向かって伝えたり、手紙にしたためて伝えたり、マンガから感情の温度を感じられたと思います。コミュニケーションの手段が今よりもハート to ハートというか、ダイレクトだっと思うんですね。

例えば、私が大人になってから大好きになった『ときめきトゥナイト』も、蘭世の真壁くんに対する純粋なストレートな想いがシンプルに伝わり、そこで揺れる乙女心というか、あたたかさ、可愛らしさを感じる訳です。

昭和と平成の隙間を縫う、映画『つぐみ (TUGUMI)』

映画でもそうですが、私が80年代〜90年代のカルチャーにものすごく哀愁を感じ、ノスタルジーを感じるのは、世代と言ってしまえばそれまでですが、人における感情のキャッチボールが行われていた最後の世代だったと振り返って思います。

歴史と世代の関係

歴史のサイクルについて探求した名著『The Fourth Turning (フォース・ターニング)』

歴史と世代は密接に関わりあったサイクルがあることを、私はウィリアム・ストラウスとニール・ハウの著書『The Fourth Turning (フォース・ターニング)』で学びました。

革新的技術の登場が社会のパラダイム変革をもたらす

バロンズの表紙と、そのセクターの関係性・メッセージについて

またインターネット、モバイル、スマホなどの革新的技術の登場は、革新的技術とバブルの崩壊という流れを経て、社会のパラダイム変革をもたらすことが知られています。

そうすると私たちの社会は、もうネットやスマホ、その後のSNSが普及した前の世界に戻ることは不可能になります。あたり前ですが、前の世界には戻れないのです。だからこそ、90年代は人間的な感情のキャッチボールが行われていた最後の世代と言い切れるのです。

人口史観で読み解く、日本の社会

日本が誇る経済学者で、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス名誉教授であった森嶋通夫氏は、1999年の著書『なぜ日本は没落するか』で、日本社会がなぜ没落するのか?について、今の世代の若者を観察することで、未来の日本の社会が大凡見えてくると言います。

マルクスは経済が社会の土台であると考えるが、私は人間が土台だと考える。経済は人間という土台の上に建てられた上部構造に過ぎない。それ故、将来の社会を予測する場合、まず土台の人間が予想時点までの間にどのように量的、知的に変化するかを考え、予想時点での人口を土台としてどのような上部構造ーー私の考えでは経済も上部構造の1つであるがーー構築できるかを考えるべきである。

このような観点から現在の人口を見ると、現在の3歳、13歳、18歳の人は52年頃2050年に、それぞれ55歳、65歳、70歳になっている。その年の官僚のトップ (各省の事務次官)、各会社の社長、政界の10人がそれぞれこれらの年齢の人であるとすれば、2050年の政界財界のトップは既に現在の社会の一員を成しており、特に政界と財界のトップはかなりの年齢に達している。

現在の13歳と18歳の人は見て、彼らが50年後にどんな人間になっているか推定すれば、2050年の日本社会の土台の主要メンバーを推し量ることができるのである。52年後の経済や政治はどうであるかを直接推定すれば、掴みどころなくて漠然としているが、まず2050年社会の土台はどのような人で構成され、そのような土台の上にどんな上部構造が築かれるかという間接的な推定法を取るならば、見通しははるかに開けてくる。

2050年の土台の高年齢層の人は、現在すでに生存中で、かつかなりの程度教育を受けている。もちろん今後彼らがどのような人物に成長していくかは、今後の学校や社会の教育に依存する。しかし近い将来、例えば今後10年間で彼らの高等教育はほぼ完結するから、彼らがどんな高等教育を受けた人として世の中に出ていくかを推定する事は困難ではない。2050年の社会上層部の能力は現在の若者を見れば推定できるのである。

ーーー 中略 ーーー

このような社会の動きを、人口と言う土台の動きから導き出す思考は、人口史観と呼んで差し支えないであろう。人口史観で1番重要な役割を演じるのは、経済学ではなく教育学である。そして人口の量的、質的構成が決定されるならば、そのような人口でどのような経済を営み得るかを考えることができる。土台の質が悪ければ、経済の効率も悪く、日本が凋落するであろう事は言うまでもない。私はこういう方法に則って、没落を予言したのである

この森嶋通夫氏の優れた観察力を持ってすると、90年代がある時点がハートウォーミングなコミュニケーションができた最後の世代であると見ているのです。